2011年12月7日水曜日

商店街の今日的意味

 先日、経済産業省が推進する中心市街地活性化のための人材育成をめざす、街元気プロジェクト( https://www.machigenki.jp/ )主催の商店街現地研修会に参加しました。

今回の研修先は東京都品川区の戸越銀座商店街と北品川商店街です。
戸越商店街はテレビのバラエティ番組や商店街特集でよく登場する全国でも有名な商店街。全長約1.3Km、約400店舗を有し、平日の来街者も1万人を超え、今でも全国最大規模を誇ります。
もともとは知名度もなく、生鮮を中心とする小規模店が多く予算もない、おまけに3つの商店街からなるために足並みが揃わず、苦労が多かったと亀井哲郎戸越銀座銀六商店街振興組合理事長は話す。その後、メディアに取り上げられたり、徐々に知名度も上がってさぁこれからと言う時にバブルが崩壊、戸越銀座と言えども衰退化の歯止めがかからない日々が続きます。

商店街に地元客が集まらなくなってしまった理由を聞いてみると…。
「共働き世帯が増え、多くの住民は朝9時に出勤し夜9時に帰宅する一方、商店街の営業は朝10時から夜8時まで。勤め人が商店街で買い物できるのは土日・祝日たげですが、お店の大半は休み。

「とごしぎんざ」の名入れケーキ
大型店やディスカウント店に行けば豊富な品ぞろえで価格も安く、コンビニやチェーン店なら深夜まで営業している。」 つまり、「地域住民のライフスタイルと完全にかけ離れ、地域コミュニティの核としての地位も失ってしまった」からだとも言う

亀井さんの奥様は、「今の商店街では欲しいもの、買うものがない」と嘆く。

そこで、亀井さんは「もう一度、必要とされるにはどうしたらいいか」と考え、有志参加の活動に奮闘する。戸越コロッケの開発に始まり、戸越銀座ブランドのオリジナル商品化やマスコット・キャラクターを育て様々な集客イベントにも積極的に取り組む他、通信インフラの整備と電線類の地中化の推進、更には商店街の販促プロダクション会社の設立にも奔走しています。

さて一方の北品川商店街は品川から京浜急行で1駅の新馬場駅を最寄とする、戸越銀座に比べれば規模は小さいものの、旧東海道品川宿としての歴史と風格が漂う商店街です。


この商店街が変わるきっかけは、「東海道五十三次シンポジウム」にあったと、旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会の堀江新三会長は振り返ります。 旧東海道の各宿場街の会合に参加して、そこで五十三次の最初の宿である品川周辺地区の街づくりへの期待感の大きさと、品川地区の歴史資産とその意味の重さを深く思い知ったと語る。


そこから、地区の求心力が一気に加速、本格的な取り組みが始まったとの事。
中でも、平成21年1月に空き店舗跡にオープンしたまちづくり拠点「品川宿交流館 本宿お休み処」が思いもかけない方向に進展します。

地元で仕事もなくフラフラ遊んでいた若者たち(失礼!!)に交流館の留守番をさせてから、商店街にまったく寄り付かなかった若者たちが集まるようになり、地域とのコミュニティの場へと大きく好転、やがて若者たちがまちづくりに積極的・自発的な関わるようになって、今ではこの地域には欠かせない貴重な人材に成長しています。
人力車をつくって自分で引く者や、バックパッカーのための宿屋を始め世界中のバックパッカー仲間にネットで発信したら、いきなり問い合わせや旅行者が集まるインターナショナルな街に変身、めざましい成果を挙げています。

江戸の面影と外国からの訪問者との意外な組み合わせは、何ともクールではありませんか。


今回の研修で思うのは、戸越銀座はごく普通のありふれた商店街(全国にある典型的な形態と言う意味なので、失礼をお許しください)ゆえに、これと言う売り物がなく、地域住民の無関心も手伝って、商店街の活性化は商店主が立ち上がらないと何も事態が好転しない現実に直面していないか…。
もともとが近隣型の商店街だったのが、規模が大きくなり知名度も上がることで地域型から、更に土・日は広域型ともいえる集客力を持つことで、逆に戸越銀座の性格を曖昧にしているのかも知れません。非常に難しい状況にもかかわらず、それでも住民も店主もあまり生活に困っていない、都心に近い恵まれた地域性が裏目となっていないかとも感じられました。
商店街の衰退を自分の事として真剣に取り組んでくれる店主はほんの一握りという現実からして、亀井さんのご苦労は今後も続きそうです。

一方、北品川は品川宿という地域のアイデンティティがはっきりしているだけに、商店街と言うよりも地域の活性化へと、まちづくりの意識が戸越銀座よりもはるかに高く、若者をはじめとして地域住民が活動に参加している点は大きな違いです。新しいマンションが立ち並び、そこに移り住んで来た住民も、この地の祭りに誇りをもって参加して、神輿担ぎにも喜んで加わるそうです。

公園の松と海風がなじむ
 まさに、本物のシビック・プライドです。

ここに、商店街や中心市街地活性化のヒントがあるように思います。
今回の研修には、全国の自治体から10数名が、1~2泊の出張で参加されましたが、いずれも中心街の空洞化と衰退、商店街のシャッター通り化と空き店舗対策にご苦労されていました。
特に大分県から参加された方は「地元には既に若者がまったくいない」と、品川宿の環境をとても羨ましがっていたのが印象的でした。

また、天下の三菱総研さんまでも、商店街研究に取り組む姿は今日の深刻な状況を共有する良い機会となりました。

みなさん、お疲れ様でした。

2011年10月26日水曜日

奉仕券

先日、食卓テーブルにふと見慣れないものがあり、何だろうと目が留まりました。
なんと、家内が大事に持っていた商店街の奉仕券台帳でした。
貯まりに貯まった奉仕券で1冊が出来上がり、近所の取り扱い店で500円に換金してきたそうです。
残りもあと3枚で、もう1冊が完成します。

そう言えば、昔はこうした奉仕券を集めてはよく台帳に貼ったものです。
そんな取り組みが今でも残っている事に、ちょっとした驚きと大変懐かしい思いに駆られました。

下段の写真の右が表紙で、真ん中が約20年前の裏面、左が最近のものですが、よく見ると20年の間に加盟店が半数以下になっています。更に今では奉仕券を取り扱うお店は、たったの4店に減ってしまったとのこと。おそらく台帳を刷り直すことも出来ず、在庫分を使い回しているのでしょう。その店主に聞くと、「まだ、このサービスはこれからも続けるからジャンジャン使ってね」との返事。しかし、他のお店では「もう、廃止でしょう」と…、反応が違います。
一時期は全国組織のグリーンスタンプやブルーチップ、助成制度のベルマークなどの奉仕券が出回り、1枚1枚貼って残りのマスが徐々に少なくなっていくのが子供心にも楽しみでしたが、残念ながらもうこのサービスが復活することはないのでしょう。

思えば今の土地に移り住んで、もう20年以上も経ちますが、やはり商店街の顔ぶれはガラッと変わりました。店主の世代交代とかテナントやチェーン店が進出して、地元のコミュニティにも少し影響が出ているようです。
以前は結構、駅前商店街で買い物をしたものですが、近所に大きなスーパーや、駅に私鉄系のスーパーが進出してから、私もほとんどスーパーで用を済ますようになってしまいました。

つい、クルマを使ってしまうことと、提携航空会社のマイルが貯まるので、どこでも何でもカード払いになってしまったのも原因でしょう。しかし、商店街のあり方と消費者のライフスタイルとが合わなくなっている本質的な問題を抜きには考えられないのかも知れません。それは商店街というビジネスモデルの大きな転換期ともいえます。全国の中心市街地が抱える課題と同様の現象が、自分の住む街でも進行し、更にその傾向に私自身が加担したり、奉仕券がきっかけで改めて難しい現実に思いを馳せる機会となりました。

一方、奉仕券に代わって個店独自でスタンプ制度を採用したり、チェーン店、スーパーなどが各自のポイント制を導入したり、大手家電店の実質値引きと同様のポイント制(値引き分を消費者から預かると批判もある)やコンビニなどは全国共通のポイントカードの普及に力を入れたり、携帯端末に機能を付加したり、顧客の囲い込みと様々なポイント還元サービス合戦が展開されるようになりました。お蔭でお客の財布は沢山のカードではち切れんばかりです。
こうしたポイント社会は便利で得した気分になりますが、逆に常に多くのカードを持ち歩かなくてはならない不便さと煩雑さが避けられず、また奉仕券やスタンプに比べるとやはり味気がありません。

今後は、ポイント還元の方法にも多様な取り組みも出てくることでしょう。
たとえば、貯まったポイントを医療機関や学校、児童施設などで使えるとか、銀行は使えば使うほど手数料を取られますが、一部には顧客サービスの視点からポイントが貯まる仕組みも取り入れられるようになりました。
いずれは、沢山のポイントカードを携行しなくてもよい時代も来ることでしょう。
ポイントカード大手陣営間の競争も激化しますので、考えもしない新しいサービスが技術革新とともに登場するかもしれません。
その切り札が携帯電話やスマートフォンなどの利活用となれば、またデジタルディバイドや情報リテラシーなどの新たな問題も起こります。
また、便利さの裏で、税制や会計上の課題、購買履歴や個人情報の扱い、独禁法とのかかわりなど現行法では対応できない大きな障害も無視できません。

社会の制度は市民意識の反映ですし、商店街の盛衰、便利さの追及とリスクへの備えは消費者一人ひとりの判断と行動が大きな意味を持つ時代になるでしょう。




                    

2011年9月26日月曜日

魔法のメリー・ゴーランド

東京都は9日、「としまえん」を買収して都立公園として整備すると発表しました。

「としまえん」は1927年の開業以来、様々な紆余曲折を経て、ようやく今日の西武鉄道グループの運営に落ち着いたところでした。
都は首都圏の防災機能を高め、永続的な避難場所として管理できるとの説明でしたが、3.11の震災の影響もあると思われますが、いささか突飛な感じは否めません。

「としまえん」の敷地は、昭和32年に「練馬城址公園」として都市計画決定され、運営は都市公園法の制約を少なからず受ける事になります。更に隣地は閑静な住宅地でもあり、大きな幹線道路に面していないなど、遊園地として打つ手も限られ身動きの取れない状況がずっと続いていました。
そんな中、博報堂さん制作のCM「史上最低の遊園地」で再び世間の注目を集める事となり、「プール冷えてます」も大ヒットしました。
プール事業を収益の柱として運営を継続して、全国のテーマパークの大半が姿を消し遊園地業界も撤退・廃業を余儀なくされる中で、23区内の至近な遊園地として都民に親しまれてきました。

都建設局は「交渉次第だが、遊園地が存在したままの公園化は困難」としています。
一方、西武グループは「都から詳細な内容は何も聞いておらず、現状でとしまえんを売却する予定はない。今までと変わらず営業を続ける」と見解の相違をみています。

私は30年以上前から「としまえん」の仕事をお手伝いして来ましたし、現在の押上スカイツリーの建設が決まる前の、第二電波塔の候補地を決めるコンペの際にも、練馬区の有志の皆さんから立候補の相談を頂き、一緒にプランを練った時期もありました。
「としまえん」の敷地内に松本零士さんのイメージする壮大なスーパータワーを建てようというものでした。
また、「ロッテワールド東京」プロジェクトの計画者としても集客の研究と、あるアトラクションを目当てに「としまえん」には、随分足を運んだ思い出があります。

さて、あるアトラクションとは「エルドラド」の事で今回の本題です。
「としまえん」の回転木馬、カルーセル「エルドラド」は、機械仕掛けの芸術的乗り物として100年以上の歴史を持つ世界最古の貴重な文化遺産であり、2010年に日本機械学会より「機械遺産」に認定されたのをご存知でしょうか。



「エルドラド」の全景。「としまえん」の資料からお借りしました。

この「エルドラド」は1907年にドイツのヒューゴ・ハッセ(1857~1933)によって製作され、同年のミュンヘンで開催された"オクトーバー・フェスト"において初めて披露されます。
この豪華なカルーセルは当時の人気者となり、ヨーロッパ各地を巡業して大歓迎されて彼は蒸気機関の整備士でしたが、やがて遊戯施設の製作者として名を知られるようになりました。
しかし、当時のヨーロッパは戦争へと向かう不穏な時代でもあり、アメリカのルーズベルト大統領の訪独がきっかけとなって、ヒューゴ兄弟はニューヨークのコニーアイランドの遊園地に移設することを思い立ちます。

こうして1911年に「エルドラド」は戦火をのがれ、永住の地を得たのです。
しかし、ニューヨークっ子に親しまれた「エルドラド」は1964年のコニーアイランドの閉鎖により解体され倉庫に眠ったままとなってしまいます。

その噂を聞きつけたのが「としまえん」でした。
そして交渉の末、ようやく1969年に太平洋を渡り、1971年に当時の姿に完全修復され見事な復活を遂げて、日本人の私たちに夢を与える事になるのです。

「エルドラド」とはスペイン語の"黄金郷"の意味ですが、まさにその姿はアールヌーボー様式の精巧な芸術的彫刻作品として今でも高い評価を集めています。
24体の木馬と豚やゴンドラ、馬車はすべて木製の手づくり(顔や表情がすべて異なる)でどれも工芸品の域となっており、繊細な装飾によって象られたその全体像は絢爛豪華そのものです。
世界中のカルーセルと比較しても、この「エルドラド」に匹敵するものは一つとしてないと思います。
今でもカルーセルメーカーはイタリアに1~2社ありますが、この「エルドラド」級の芸術作品をつくれる職人はもうほとんど残っていないのではないでしょうか。

さて、みなさんはこの「エルドラド」の芸術的・美的価値にようやくお気づきと思われますが、このカルーセルの本当の芸術的価値とは実は外見だけではありません。
「エルドラド」の凄いところは乗ってみて初めて分かるのです。

凄さの仕掛けは簡単です。
ミソは木馬やゴンドラ、馬車などの乗っている円盤(ターンテーブル)にあります。
普通のカルーセルは円盤が一枚で木馬などが一緒に回転して、木馬が機械仕掛けで上下運動をするのが一般的です。(二階建てもありますが、基本はそれぞれのフロアーの円盤は一枚です)
ディズニーランド、ディズニーシーのものが代表的なスタイルです。

しかし、「としまえん」の「エルドラド」が偉いのは、そのターンテーブルが内側・真ん中・外側の三つに分かれていて、それぞれは同じ方向に回転するものの、回転速度が異なるところが秀逸なのです。
どういうことになるのか?
全体は時計回りで回転しているにも拘わらず、自分の位置や目のやり方次第で、反対に反時計回りで回転しているかのような錯覚に陥るのです。

もっと分かりやすく言うと、時間が逆回転するタイムトリップの中に入り込んでいくのです。
外の景気は確かに後ろに飛んでいくのですが、内側に目をやると自分が後ろに下がっているではありませんか。実と虚が交錯しながら時間の渦の中に引きずり込まれてしまいます。
非常に哲学的でもあり、この遊戯施設が子供だけのものではないことがすぐに理解できます。

しかし、この貴重な経験も乗り物として完全に駆動してこそ、その本来の価値が発揮されるのですから、是非とも「機械遺産」として今後も適切にメンテナンスして頂き、いつまでも動く状態に保たれる事を望んで止みません。

私はいつも実と虚の交錯する瞬間、フェリーニの映画を思い出します。
フェリーニはもともと天体物理学者で、後に映像の魔術師と言われるようになりますが、この「エルドラド」の時間体験は遊戯施設の魔術師と言えないでしょうか。
フェリーニのイメージする時空間と、この「エルドラド」がもたらす想像力の世界とがいつも重なっています。
「エルドラド」は素晴らしい映画作品にも匹敵する芸術のレベルにあると思えてなりません。

それは、視覚だけではありません。
Beatlesの「A Day in the Life」の終章の音の渦にも似ているし、なぜか劇中劇として有名なレオンカヴァッロ作曲のヴェリズモ・オペラ「道化師」の音楽が頭の中で聴こえてきます。

私は今まで大勢の人を「としまえんに」ご案内し、「エルドラド」を体験するようお勧めして来ました。
皆さんのリアクションがまた楽しいのです。

さあ、ファンタジーの原点ともなるアトラクションに乗ってみましょう。
まだ、「エルドラド」未経験者の方は、是非「実と虚」の深遠な世界を体験してみてください。



2011年9月22日木曜日

武蔵野珍道中


先月、9名の有志による「吉祥寺ハーモニカ横丁視察ツアー」を開催しました。
案内役は「ハーモニカ横丁」について現在執筆中の桑原才介さんです。桑原さんは20年以上も前から「中年探偵団」を組織して話題の街をくり歩き、著書「都市ごころを読め」などを上梓された街歩きの達人です。今回は吉祥寺駅を中心に半径500mの円周に沿って北・西・南・東の順に一周、2時間近くかけて吉祥寺のホットスポットを巡りました。
夕方とはいえまだ真夏の暑い中、タオルを手に汗を拭きながらの珍道中でしたが、久しぶりの吉祥寺を堪能することができました。

そもそも吉祥寺と言えば、昭和の喫茶店文化を発展させた地として、中でもFunkybe-bopなどのJazz喫茶をプロデュースし、次々と新しい店を展開して吉祥寺の街を変えた故野口伊織さんの功績が思い出されます。今回はその次を切り開く手塚一郎さん(株式会社ビデオ・インフォメーション・センター、代表取締役)プロデュースの新しいハーモニカ横丁の視察がメインのテーマ。

ハーモニカ横丁のルーツは、第二次世界大戦後の1940年代後期、荒廃した吉祥寺駅前にできた闇市が出発点。その闇市の名残で、今も約3,000㎡の敷地には入り組んだ路地に93店舗がひしめき、人がやっとすれ違うことが出来る程度の路地を、お店の掛け声を背中に見知らぬ人とすれ違い進んで行く様は何とも刺激的で、懐かしさと怪しさの混在する異空間体験が横丁の大きな魅力となっています。

駅北口から平和通り、吉祥寺ダイヤ街ダイヤ街、武蔵通りに面した位置にあり、横丁は東側(JR吉祥寺駅側)から仲見世通り、中央通り、朝日通り、のれん小路、祥和会通、の5つの通りで構成され、飲み屋街としても有名であり、夜になると仕事帰りの客らが集い、昼とは違った賑わいを見せています。
ハーモニカ横丁の名前は、武蔵野市に在住していた作家の亀井勝一郎氏が、小さな店舗が沢山立ち並ぶ様を、楽器のハーモニカに例えた事に由来しているそうです。

さて、今回のハーモニカ横丁ですが、今でも大人気の繁盛店、魚の「なぎさや」、和菓子の「小ざさ」、肉の「サトウ」など、行列の絶たない老舗が頑張る一方で、VICの手塚一郎さんによる「ハモニカ・キッチン」や「ヤキトリてっちゃん」、「SOCO」「FOODLABO」、「ポヨ」、「モスクワ」、「エイヒレ」、「MISHIMA」などの飲食店・カフェ・居酒屋が、路地のあちこちに新しい店を次々と出店、ハーモニカ横丁に新風を送り込んでいます。こうした短期間での出店の嵐が大きなインパクトとなり、新たな客層を呼び込む事に奏功し、にわかに横丁が活気付いていました。

                                             






    


行列の出来る肉のサトウ、仲見世通りのなかだ屋、今でも量り売りの漬物屋、和菓子の小ざさ
若いお客で賑わうVICグループの「モスクワ」、「ハモニカ・キッチン」、「ヤキトリてっちゃん」


ツアーの後半は駅の西・南・東方面です。
夏のお盆休みでしかも土曜日とあって、いつもの週末に比較して街を歩く人はまばらとの事ですが、とは言えどの道も通りは人、人で一杯。

JR線高架下の開発や、老朽化・陳腐化が進む駅周辺建物の再開発が検討され、大手資本のチェーン店などが挙って出店する一方で、少しでも賃料条件の良い南口や西・東方面へと商業地が拡大し、小資本ながら個性的でインディペンデントな店舗が積極的に出店する様は何とも対照的で、商業者の旺盛な事業意欲が感じ取れて元気をもらった気がしました。
消費が大きく低迷する中にありながら、街動線が延長され新たな回遊性を生んで隣町の西荻窪まで、商業立地がつながってしまうのではと思わせる勢いです。

文化人や芸能人が多く住む吉祥寺は、今でも住みたい街のNO.1
また、戦後に移り住んだ方々の高齢化が進む一方で、最近は大規模マンション群の開発なども手伝って、30代ファミリー層の転入が相次ぎ活気を維持しており、事業所や学校も多く潤沢な昼間人口の下で、東京郊外では八王子、町田に次ぐ大きなマーケットを形成しています。

世界でも有数の巨大なマーケットを有する東京圏にありながらも、多くの商店街の衰退が止まらない中で、なぜ吉祥寺だけがこれ程までの活力を維持できるのか、真剣に調べる必要がありそうです。
吉祥寺が属する武蔵野市の人口は13万人。街の規模は地方都市の平均的なサイズと余り変わりありません。なのに…。
不動産の流動化が進んでいるとか、オープンなコミュニティとか、自由で開かれた社会であるとか、何かの重要な理由・根拠があるだろうと思われます。





 
     
大人の雰囲気「汁べゑ」、「いせや」井の頭公園店、アニメファンのメッカ、古いビル中のパッサージュ


今回の視察で最も印象に残ったのは、やはり古いモノと新しいモノが混在し、お互いに「競争」しながらも、「共生」「共存」し、消費者に多様な機会と選択肢をもたらしている事です。新旧・大小がせめぎ合う活力と好循環は何とも羨ましい限りではありませんか。

今も進化を続ける吉祥寺の歴史・文化の厚みと、住宅・商業地としてのポテンシャルの高さに、今更ながらひれ伏したツアーでした。

 

2011年9月18日日曜日

第1回 ロカンダ・フォーラム


さる730日、「食」のマーケティング・プロデューサーである辻中俊樹さん(株式会社 東京辻中経営研究所 代表取締役)が主催する第1回ロカンダ・フォーラムに参加してきました。



会場は、小田急線の千歳船橋駅前の通称「森繁通り」半ばに今年オープンした氏が直営する飲食店「ロカンダ世田谷」。



講師は、「食」のコンサルタントとして日本の外食産業を長年支えてこられた大先輩の桑原才介さんです。
お二人は私の飲み友達でもあり、毎度「食」に関する話題で盛り上がり、いつお会いしても楽しい方々です。

辻中さんは、今年になって新しい会社を立ち上げ、同時に「食」の実験店である「ロカンダ世田谷」をオープン、新しい試みに果敢にチャレンジしています。

桑原さんは、日本の外食産業の生き字引ともいえる方で、外食産業を語らせたら桑原さんの右に出る人はいません。
そんな氏の貴重な経験と膨大な知的財産を後世に残して頂くためにも、ずっと執筆をお勧めして来ました。

今回はそんな氏の豊富なご経験と現在執筆中の吉祥寺の「ハモニカ横丁」を素材に、日本の「外食」事情についてお話しを頂きました。
本日のテーマは、飲食業界におけるストーリー・マーチャンダイジング店の失速と、安心・安全野菜の直球勝負で急成長する業界の裏話しと、ハーモニカ横丁から新風が吹き始めた吉祥寺の変身でした。

横丁の居酒屋から吉祥寺を変える男、手塚一郎さん(株式会社 ビデオ・インフォメーション・センター 代表取締役)の話題で盛り上がりました。

後半は「ロカンダ」特製の長岡から取り寄せた有機野菜とお肉の手づくり料理をつまみに、この日のためにご用意頂いた辻中さん直々のセレクト・ワインをみんなで楽しみました。桑原先生、辻中さん、ありがとうございました。

        写真中央のメガネをかけた方が桑原さんです。       

2011年9月17日土曜日

虹丸の描く<銀座百景・百点>展

大学の先輩である虹丸さんの個展に行ってきました。


虹丸さんは鹿島建設のアートディレクターとして活躍され、日本のグラフィックデザイン界でもその存在を良く知られる方です。
今回の個展では、江戸の時代から数々の画家が挑戦し続けて来た「銀座」をテーマとされました。
その中身は以下をご参照ください。

http://7-gods.com/20110906.html


虹丸さんのトレードマークはやはり名前の通り「レインボー」カラーです。
銀座の100景が見事にデフォルメ・彩色され、まさに銀座の今を切り取るコラージュとなって、今日的気分を伝えてくれました。


次は僭越ですが、虹丸さんから「私にとっての銀座」と題する小文のご依頼を頂き、今回の個展にお送りしたメッセージです。

「日本の誇り、世界の銀座」

銀座を歩いて常に感じるのは、やはり日本文化の深さと厚みではないでしょうか。明治以降の日本社会の発展の象徴であり続けた銀座は、今や世界で最も洗練された街として日本が世界に自慢できる、本物のジャパンクールがギッシリ詰まっています。伝統と創造、品位と風格のどれをとっても一流であり、それらがコンパクトに集積され、歩いて体感・発見できるのが何とも素晴らしいではありませんか。特に食の豊富さと質の充実度は、街の三ツ星と言ってよいでしょう。


銀座の表通りは今や完全にブランド・ストリートと化して、かつての面影を残すものは殆ど見当たりませんが、少し裏手に回れば横丁や路地、パッサージュなどに面して工夫を凝らした飲食店がしのぎを削っていて、日本の食の一大ショーケースとなっています。
やはり銀座は日本全国の味が一同に会する場なのだと、改めて実感します。
そんな銀座の昨今をコンパクトに紹介する資料、「銀座まちづくりビジョン」がとても素晴らしいのでご案内します。
この冊子の存在を既にご存知かも知れませんが、全国の市町村のみなさんや、まちづくりに関係される方々のご参考になれば幸いです。


ご依頼があれば、これ以上の冊子を是非ともお創りしたいと思います。
ご相談をお待ちしています。

2011年9月16日金曜日

相羽高徳 鳥の目虫の目妙案作品展

先日、友人の相羽高徳さんの初めての個展を観てきました。

以下、「視覚の冒険―相羽高徳の空間美学」と題する外舘和子(とだて・かずこ/美術評論家)さんの紹介文です。

http://www.gandd.co.jp/colmn/colmn_bangai.html

さて、相羽さんとは私がロッテワールド東京計画を担当している時のご縁から、今でもいろいろご案内を頂くお付き合いをさせて頂いています。

もう10年近くも前ですが、私が初めて相羽さんのオフィスを訪ねた時の事を今でも良く覚えています。彼は初対面にも関わらず、それまでの膨大な作品群(レンダリング・スケッチなど)を親切・丁寧に見せてくれましたが、どれも雰囲気に満ちた「絵」になっていて、日本にもこんなアーティストがいらっしゃるのかと驚いたのを記憶しています。

大体、日本のインテリアデザイナーやパースライターのスケッチやパースはその殆どが形の説明に終始して、極めて平板で空間や立体を感じないものばかりで、空間に心と言うか魂がありません。
一方、相羽さんのレンダリングは光と陰影に満ちていて、ペン画に後から着彩しただけ(失礼)なのに、その場の雰囲気やストーリーを見事に表現しているではないですか。

私は学生時代にデッサンを沢山やった経験から、カタチは光があって認識出来るのであって、ずっとカタチを描くという事は光を描くことだと考えていました。
空間は光の彫刻であって、光の変化つまり時間変化とともに、空間の感じ方は変わるものです。
相羽さんはその事を完全に理解され、それを実際に表現されているのを見て、いやぁービックリしました。

そんな私の姿を見て、彼がニヤニヤしながら何やら取り出してきたものが「盆栽」でした。

大きさは15cm位でしたが、よく見ると、針金のようなもので造られた擬木に階段やら小さなツリーハウスがあるではありませんか。ミニチュア模型とは違う、まさにファンタジーそのものです。

相羽さん曰く「アートの盆栽」ですよ。趣味で造っているんです。

それから、10年。趣味で始められた「アートの盆栽」は、ついにその何倍もの大きさと何十倍・何百倍もの手間暇(1作品に1年半の歳月を要する)を掛けた(オテル ドゥ ミシュラン、ロックアイランドなど)、見事な作品群として一般公開されました。

個展では、盆栽のレンダリングに直接スワロフスキーのクリスタルを貼り付けたり(マクドナルドサーカスリゾートなど)、茶碗にガラスやピースを全面に貼り詰めたキラキラのデコ陶器など、平面の立体化・空間化への追及と、立体の四次元化(立体の更に向こうにある記憶や想像力、時間概念)への取り組みは留まるところを知りません。

これからも、相羽さんと楽しい仕事ができたら嬉しいですね。